2016年9月18日日曜日

蛇行状鉄器



一昔まえ、福間町手光古墳から出土した蛇行状鉄器の説明を聴いた時は、これの使用目的は不明だということであった。
今回(9月17日),古賀の船原古墳の側から同じ蛇行状鉄器が出土し、馬具考古学が専門の、福大桃崎教授の話を聴いた。以前にも3回聴いているが、今回は蛇行状鉄器の詳しい話を聴けた。
馬の鞍の後ろにとりつける旗竿で、古代ではひろく用いられていたようだ。
古代の戦で勝利したときや、和平が成立したときは、生贄の馬とその馬具を埋葬して、盛大な祭りや軍事儀式をおこなったようで、扶余の白村江の戦や、飛鳥の物部・蘇我の戦のあとの例をあげられた。
吉住氏の写真
古賀の船原古墳でも馬の骨からでたカルシュームが見つかっているので、馬と馬具の一体埋葬の跡であり、征韓軍が渡航中止になったときに、同じような儀式をおこなった可能性があると指摘された。
桃崎先生の結論を、吉住氏はつぎのようにまとめられた。

① 船原古墳の被葬者は糟屋屯倉の管掌者と改めて推定
② 管掌者は聖徳太子の一族「壬生部」、「舂日部」では
③ 鹿部田淵と結び沿岸港湾への馬輸送機能拠点か
④ 特異な埋納状況は背後に国際的な重大事件を想定

前回の講演では、来目皇子の墓でないかという話もでたが、さすがに今回はなかった。

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